真夏の方程式

今週、初めて「めぞん一刻」を読みました。会社から全巻借りてきて、三日かけて一気読み。
泣いてしまった。読み終った後も、もっとこの世界に浸っていたい、
もっと響子さんたちの傍にいたいという気持ちからパラパラと
未練たらしくページをめくってしまいました。

んで今夜、友人との飲み会から帰ると
地上波で「真夏の方程式」をやっていた。
ガリレオシリーズはまともに観た事はなかったんだけど劇場版はとても気に入っています。

この映画の冒頭は(以下、かなり曖昧)トンネルを抜ける電車のパンタグラフのアップから始まる。夏の日差しが照りつける海沿いを走る電車。車内のショット。少年が1人、ぶすっとした顏で水平線を望んでいる。
少年の他に乗客と言えば、やけに物静かな学者風のめがねの男性1人・・・。(こんなだったかな^^;)

この映画の探偵役「ハカセ」と、都会から親の都合で夏休みを親戚の家で過ごすことになった「恭平くん」との出会いであり
冒頭シーンです。とても印象に残っている。
というのも、この映画の最後も、形式的には同じようなショットで幕を閉じるからなんです。
でも、その時には観客も人物たちも、事件を通して問題と出会い、あるいは向き合い
成長し、キャラクターを理解し、友人のように親しくなった気持ちでいるのです。
それが言葉や台詞でなく目線やライティング、アングルや音楽で感覚的に伝わってくる。

良いですね。
映画も漫画も本もゲームも、良い友人のようにスリルや満足感だけでなく、精神的な成長を与えてくれる。
特にシリーズ物として長くつき合っていれば、より思い出を共有しているような気になってハマっていく


小島秀夫監督がおっしゃっていましたが、
自分が何か人に作品を提供するとき、その人はお金もそうですが、膨大な時間を預けられます。
その時間に見合うだけの何かを与えたい。
僕なんかは上映会なんかをやってるときにひしひしと感じます。「わざわざ見に来てくれたんだなあ」と。
でも作ってる時はなかなかそう考えられないもんで・・・

話がよく分からなくなりましたが、
とにかく、観た人の中でキャラクター達が成長していくというのは、
制作者冥利に尽きるなあとふと思いました。
作者である自分の中だけでなく人の中で広がっていく、そんな世界を作り出したいですね。