「GODZILLA-ゴジラ-」の話 後編

宇多丸さんのウォッチメン解説のアツさに当てられたので、後回しにしてた前回のGODZILLA-ゴジラ-」の感想を語らせてください。ちょっとだけね!


まず、前回は映画の良いところというか、期待していた部分を挙げました。
ハリウッドが本気でゴジラ精神を表現したらどんな凄い映画になるのか!?

満を持して観に行った感想、それが!
ゴジラは出てくるんだけど、ゴジラ映画じゃなかった!ここが残念!」


主な理由を挙げてみます。

・エメリッヒ版と違って着ぐるみのゴジラを踏襲した重量感のあるデザイン(これは良かった)

ゴジラ映画の根本である反戦反核というテーマを勘違いしたシナリオと設定

ゴジラが単にでかい「KAIJU(パシリム的な)」としてしか描かれていない

・登場人物達の感情や行動原理が伝わりずらく感情移入できない

・話のベースが明らかに敵怪獣「武藤」

・怪獣のみせ方のあれこれ・・・

といったところでしょうか。

以下、ネタバレしながら勝手な感想をつづります、嫌な人は見ないでください。(時間が経ったんで内容が曖昧です。許してね)

ゴジラ映画の根本である反戦反核というテーマを勘違いしたシナリオと設定

核や戦争といったキーワードを織り込んでいるんだけど、そうじゃないいいいってところです。
今回のゴジラの設定は、かいつまんで言うと「太古から生きている生態系の頂点の生物。人類の戦争や環境破壊でよみがえり、ビキニ環礁などの核実験はこれを葬るために行われた作戦だった」というもの。生物学者ケン・ワタナベ博士いわく「自然の調和」をもたらす存在で、人類がけっしてコントロールできない自然そのもの、とのことです。
これは、予告編の段階でえっ、と思いましたが、ようするに「ゴジラ=人間の負の歴史そのもの」であるから胸に響く破壊や、人類との対決、登場人物達の心理など、もともとのゴジラ映画が持っていた最大の魅力を欠いていると思います。



大前提として、
一時期の子供向けゴジラはこの意味が薄まっていますが、基本的にゴジラが他のあらゆる怪獣映画と違って深い意味で長く受け入れられている理由はここです。
ゴジラを生み出したのは人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ」という初代版の良い台詞があります。
水爆実験の影響で巨大化した、眠りから目覚めた、作品によって書かれ方は若干違いますが、ゴジラは人間の過ちによって生まれた脅威という設定ありきで物語が作られてきました。だからこそ圧倒的な破壊シーンに息をのみ(初代ゴジラの上陸コースは東京大空襲のコースと同じ、とか)なす術もない人間のどうしようもない絶望が、特撮のダイナミズムを超えた高次な意味での感動を呼ぶのです。

このメッセージを分かっていない!それが残念でならない!

ここがゴジラが単にデカイ怪獣としてしか描かれていないことにも繋がるんですが、
ゴジラと言えば核だよね!怪獣王だよね!クール!」な程度の考え方なのかな?という印象を勝手ながら抱きました。
だから最後にゴジラは救世主か?とかってテロップまで入れちゃう・・・人間達はただの傍観者、あるいは巻き込まれた存在としての「第三者感」がどうしても否めない。「ジュラシック・パーク」ですらない。(あっちも科学と自然に対する人間のおごりがテーマ)

まあでも、渡辺謙演じる博士が、怪獣に対して核を使おうとする軍人に対して「肉親が広島で被爆した過去」を明かすシーンで、反核に少し触れてはいるんだけどね。
でもそもそもゴジラという最大の問題が単なる自然の驚異って扱いだから、単なるモンスター映画としての域を出ていない。
怪獣映画にお決まりの「我々の武力さえあればあんな怪獣など」な考え方の軍人が今回も出てきます。要するに戦争を起こした人間のイメージで、たいていは良いところまで攻めるんだけど最後に怪獣に負けてボコボコにされます。怪獣の強さを強調する意味もありますが、なによりも「人間が強大な兵器を作る限りゴジラも大きく強くなって暴れ続ける」つまり戦争がある限りゴジラは戒めとして現れ続けるということを言ってるんですが、そういう思い上がりに対する逆襲もない。それがあればいくらか良かったのになあ・・
メッセージは曖昧なまま単なるモンスターにすぎず・・・やっぱりアメリカ人にとって原爆ってのは単なる大きい爆弾に過ぎないんだなあと改めて思いました。



長くなっちゃった・・・ここからもっとハショっていこう

・登場人物達の感情や行動原理が伝わりずらく感情移入できない
これもイタい。特に主演のアーロン・ジョンソンくん。(キックアスでヘロヘロダメ青年だったのにムキムキでしかも所帯持ち!になってたのはビックリした)
あちこちを移動するスケールの割にその行動の元になっている感情がいまいち分からない。奥さんを思うため早く家に帰りたいからなのか、(そのくせ作戦には進んで参加するし)親父の最後の言葉に従っているのか(そのわりには家族の元へ帰るより命を賭して戦うタイプ)、それとも怪獣を倒したいのか、でもお父さん殺したのゴジラじゃないし、う〜ん
クライマックス周りの人々のドタバタ(常にどたばたしてるんだけど)意味を持ってるように思えないんだよなあ。アーロンくんも奥さんもお互いがどんな立場にいてどう思い合っているかの描写がないから、状況の緊迫感に伴う心理的ドラマが起こらないし。
奥さん側ではゴジラがすぐ真上に、でも医者としてここを離れるわけには・・・一方家族のためにゴジラを食い止めようとするアーロンくん、しかしその足下には妻が避難している施設が!とかっていう展開にすれば人間サイドも盛り上がると思うんだが。
あと目の前の武藤より電磁パルスの方が気になっちゃうおっさんとか、一目見ただけで謎の怪獣の生態をだいたい言い当てちゃうお姉さんとか。そんな反応しないだろってのがいっぱいあったなあ。
モノレールで助けた子供とか、いらんエピソードが多かった気がする。
お父さん主役で良かったのに〜。


・話のベースが明らかに敵怪獣「武藤」
観た多くの人が思ったこと、それが「ムートーって敵怪獣の方が強そうだし出番多かったよね」ということ!
ぎゃああああ!!
この武藤さん。今回いろんな事件を引き起こす原因であり、終盤までいかにこいつを倒すかが人間側の主題になってます。(名前の説明はない)したがって、その間ゴジラの影が薄い。

しかも雄雌の対で登場(一体しかいないゴジラはなんで生きてんの?)夜のジャングルでの軍隊との戦闘や産卵シーン、もちろん大破壊シーンなど盛りだくさん!
それに対してゴジラは太古からの宿敵としての位置づけはあるにせよ、終盤までほとんど絡みがない。
「MUTO-武藤-」のほうが良かったんじゃ?


・怪獣のみせ方のあれこれ
なんていうか、やっぱりCGのキャラクターに見えてしまいました。
橋でのゴジラアメリカ軍の戦いの描き方は、アングルなど含めて上手いなと思ったんだけど、武藤との初戦のテレビ映像ごしとか、アップになると異様にひくひく動く顏とか、引きで映ったスケール感とか。怪獣を本物らしく魅せるのは、やはり演出なんだなと改めて思った。
アニメーションや特撮映画が本来「模型や嘘を本物らしく観せる」ことに特化したのに対し、それらのノウハウをばっさり捨ててしまった感じ。
とにかくゴジラ対武藤の観せ方が残念でならない!違う場所の様子を挟む事で物語が多角的に展開していく語り口は良いんだけど、それがあからさますぎてテンションが持続しない。戦闘の一番良いところで豪華ホテルのバスルームとか、ゴジラ遂に登場!の直後の展開はテレビのちっちゃい画面で・・・とか。
個人的には「ガメラ3」中盤の上空でのガメラvs的怪獣vs戦闘機と、それをモニターしてる司令部の同時展開とかね。お互いがお互いの状況に関係している、あるいは緊張感を高めるなりの影響がないと、CMみたいな「おあずけ感」しか感じない。

あとね、なによりショックだったのが、
あんだけ溜めといて、その熱線のチョボチョボ感はなんやねん!ってこと。まあこれはかなり個人的ですが・・・
武藤サンも「ちょっ、熱いからやめて」程度の反応だし。
↓こんな感じで爆散してくれるの期待してたのに〜



まだまだいろんな事言いたいんだけど、
日本の描き方とか、原発事故の時のガスみたいな視覚的なものは何?とか、アーロンくんの爆処理の腕前とか、目の前で爆発してんのに誰も逃げない空港とか、キューブリックの某有名宇宙映画のBGMそのまんまとか、武藤さんの形跡を探す時に施設の中で異変探す前にちょっと外の空気吸ってこいとか、あるけど、これくらいにしておきましょう。


今後DVDが出たら買うかな

・・・・いや、その前に元のシリーズ揃えるわ。