お酒を飲んだ日

久々に友人達と飲んできた。
お酒も周り、二軒目のファミレスの席で
ほんの少しの間、Twitterの話になった。

Twitterでどうでもいいこと呟くのはどうなの

というたわいもない話だった。
もちろんみんな酔っているので、そもそもTwitterはたわいもない、どうでもいいことを1人よがりに発信するコンテンツなんじゃないか、ということは考えなかった。


でも、どうでもいいこと ってなんなんだろう。

ぼくの友達は皆、何のために一言を発信するんだろう

帰路につきながら考えていた。


僕がいつも呟くのは

映画を観た!とか
身の回りのくだらないことをネタにして笑いをさそおうとしたり
そんなことだ。

無意識に、理解してくれる誰かを期待してるのかもしれない。


そこが、人に見せない日記と違うところだ。


僕は、Twitterとブログを使い分けている。使いこなしてはいないけど。
ブログは、なんとなく考えを保存する場所だと思っている。


考え事をした時に言葉にして残したいのは何故か?僕の場合は、その時の閃きや普段よりも高尚な精神が、ほっておくと消えてしまいそうなので記録しておくという感覚だった。でも、後になって見直したくなることはまるで無いのだ。

それでも、はけ口を求めるのは何故?
FacebookTwitterで、愚痴を垂れながらも特定の人だけの閲覧制限をかけるのは
そこまでして発信するのは何のためなんだろう。


たぶん、理由はその時によってバラバラだと思う。
あまり流れて行って欲しくないけど、誰かには聞いて欲しい。
1人どうしょうもなくハイになって、他の人にも伝播したい。
その時によって気持ちも
生き方も、毎日変わることが自然なことなんじゃないかと最近思うようになった。

いつも自然体でいられるとは限らない。付き合いもあれば、堕落したい時もある。そしていつも自然体でいたいと思う時もある。
そのサイクルこそが自然な証なのかも、と最近思うようになった。


美大の頃の友達は、みんな何処か不自然すぎたり、かと思えば不安定なほど自然体だったり。
壊れる寸前でギリギリ平静を保ってるみたいな。
それが個性豊かってことなんだろう。

そんなことを考えながら、今日読んだ森博嗣の短編に出てくる一言を思い出した。

「生まれつき壊れてる奴もいるし、意図的に壊れていく奴もいる。だいたい、どっちかだ。」

僕もやっぱり、壊れているんだろうか。