「すべてがFになる」ドラマ

すべてがFになる」ドラマを観て思う事

セールスを中心としたテレビドラマという形態が、いかに作家が捻出した複雑で完成度の高い世界を単純で薄っぺらいものにしているか。
国枝先生は乱暴な人じゃありません。

映像はニュアンスを含めるのに対して、文章は情報を盛り込めるとかなんとか、前に読んだ気がする。
本一冊分の出来事を全て映像で再現しようと思ったら何時間もかかってしまう。でも陰影の美しさや、人物が放つ雰囲気わ映像の醍醐味といえる。なので原作の出来事をカットしたり変更するのは流れを整理して観易くまとめるために必要な演出だとしても、人物を漫画のように一面的な記号にしないでほしい。


そうかんがえると。セールスに関係なく趣味でつくるアニメーションのなんと自由なことか。高眼手低になってはいけないと奥田誠治さんも仰っていたっけ。
描かなきゃ描かなきゃ。